前日は、諏訪レイクカントリーでゴルフその翌日に以下の3つの城をまわりました。
最後に蔦木宿の温泉に入って帰りました。
(1)高遠城 日本100名城
@〒396-0213 長野県伊那市高遠町東高遠城跡
A1547年(天文16)武田信玄は信濃に侵攻し、三峰川と藤沢川が合流する河岸段丘上にあり、三方を河川に囲まれる天然の要害である高遠城を攻略し、山本勘助や秋山信友に命じて大規模な改修を行い、本丸をはじめ、各曲輪は空掘りによって区画された強固な防衛ラインを造っていた。しかし1582年(天正10)武田領に侵攻した5万の織田軍に3,000名が城にこもって徹底抗戦するが、松尾城の城主小笠原信嶺の寝返りによって藤沢川の浅瀬を渡られ大手口、搦め手口から城内に攻め込まれ、一日で落城した。その後、徳川譜代の保科氏・鳥居氏が城を守り、1691年内藤清枚が入城し、明治維新まで8代に渡り城主を務めた。現在城跡はコヒガン桜の名所となっている。
(2)高島城 続日本100名城
@〒392-0022 長野県諏訪市高島1丁目20?15
A11598年(慶長3年)豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉(ひねのおりべのかみたかよし)により築城された「諏訪高島城」は明治8年(1875)に廃藩置県により天守閣が撤去された。
Bしかし諏訪人の高島城に寄せる思いは強く、昭和45年(1970)天守閣が完成した。
(3)松本城 日本100名城
@〒390-0873 長野県松本市丸の内4-1
A信濃守護家の小笠原氏が支城の一つとして1504年(永正元年)築いた深志城が松本城の前身。1550年(天文19)武田信玄が信濃府中に進出し小笠原氏の駆逐し、深志城を兵站基地に大改修した。1582年(天正10)武田氏が滅亡すると小笠原氏が再び入城し、名を松本城と改め城下町の整備も手掛けた。その後1590年(天正10)徳川家康の関東移封にともなって豊臣配下の石川数正が入り2代にわたり大改修工事を実施し、石垣・天守をもつ近世城郭となった。天守は姫路城とともに2基しか現存していない五重天守である。
|