2025年8月14日 朝6:00 自宅を出発して、圏央道と関越自動車道をひたすら北上して関越トンネルの手前の月夜野ICで降りました。片道171Km 2時間30分でした。
(1)名胡桃城(なぐるみ) 続日本100名城
@〒379-1314 群馬県利根郡みなかみ町下津3462ー2
A歴史的には、真田昌幸の沼田城の支城として、また1590年の小田原征伐の誘因となったことで著名である。
上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、天正7年(1579年)に家臣の真田昌幸に命じて、敵対関係となった後北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として築いた城である。
(2)沼田城(ぬまたじょう) 続日本100名城
@〒378-0042 群馬県沼田市西倉内町594
A 天正8年(1580)、武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸は沼田城を攻略し、さらに翌9年には沼田城の奪還に来攻した沼田平八郎景義を謀殺して沼田氏を滅亡させました。
これ以後、この地の領有を主張する後北条氏とこれに応じない真田氏との間に沼田城をめぐって攻防が続きましたが、天正18年(1590)に後北条方が真田方の名胡桃城を攻略したことが契機となり、後北条氏は豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。
秀吉は真田昌幸に対し信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵し、天正18年(1590)に昌幸の嫡子信之が沼田領2万7千石の城主となり、慶長年間に五層の天守閣を建造しました。天和元年(1681)に真田氏5代城主伊賀守が徳川幕府に領地を没収され、翌2年1月に沼田城は幕府の命により破却されました。
(3)岩櫃城(いわびつ) 続日本100名城
@〒377-0801 群馬県吾妻郡東吾妻町原町
A岩櫃城は、天険の山城。のちに真田昌幸・信繁が徳川家康を恐れさせた上田城や大坂城「真田丸」の原型といえる堅城。もし、勝頼が逃げて来たら、真田は織田・徳川連合軍を散々に苦しめたことだろう。3カ月後には本能寺の変で信長は破れ、武田・真田・岩櫃、そして日本の歴史は大きく変わっていた―。
(4)箕輪城(みのわ) 日本100名城
@〒370-3105 群馬県高崎市箕郷町西明屋ほか
A城は戦国時代初期に関東管領山内上杉氏の重臣長野氏によって築かれ、その後武田氏、織田氏、後北条氏、徳川氏の城となる。1590年(天正18年)徳川家康の関東入りに伴い徳川四天王の筆頭、井伊直正が城主になり城を近世城郭に改築したが、その後8年で直正は高崎城を築いて居城を移し、箕輪城は廃城となる。現存する遺構は直正の城主時代に造られたものが少なくなく、大手の移設や主郭部分の石垣の多くは直正城主時代の遺構とされる。
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