4.城跡めぐりと山歩き

2026年4月30日 愛車のプリウスで朝6:00 自宅を出発して、圏央道と東北道をひたすら北に移動。唐沢山城→足利氏舘→金山城→佐野ラーメン→佐野アウトレット→佐野やすらぎの湯のルートです。

(1)唐沢山城(からさわやまじょう) 続日本100名城    

  @栃木県佐野市大橋町2047

  A唐沢山城(当時は佐野城)は15世紀後半にはすでに築かれ、関東の戦乱で重要拠点となった。後北条氏・上杉氏などに度々攻められ、城主交代や乗っ取りが繰り返された。

天正期に奪還後、佐野信吉の時代に高石垣などが整備され、大規模で堅牢な城へ発展した。

(2)足利氏舘 (あしかがしやかた) 日本100名城    

  @〒〒326-0803 栃木県足利市家富町2220

  A足利氏館(あしかがしやかた)は、栃木県足利市にある鎌倉時代の武士の居館跡で、日本100名城の一つです。源姓足利氏2代の義兼が12世紀末に築き、現在は「鑁阿寺(ばんなじ)」として整備されています。周囲に水堀と土塁が残る方形の平城で、国宝の「本堂」が最大の見どころです。


(3)金山城(かなやまじょう) 日本100名城    

  @〒373-0027 群馬県太田市金山町40-98

  A金山城は、新田氏の一族である岩松家純によって1469年に築城された。標高239mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上に、西城・北城(坂中城)・八王子山ノ砦の4つの曲輪を造成し、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代難航不落を誇った山城。石垣や石敷きが多用されていることで、従来、戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた城郭史の定説が金山城跡の発掘調査で覆された。 山麓にも、城主や家臣団の館・屋敷があったと考えられ、根小屋(城下)を形成していたと見られる。新田氏は北条氏の関東進出により、その傘下に入ったが1590年北条氏の滅亡により無血開城して廃城となる。


(1)唐沢山城の入り口
 上部に唐澤神社社務所で、続日本100名城のスタンプを押印





(2)唐澤山神社にさみしく看板がおいてあった。だれも使てない様子。
周りに猫が多く、餌をあげる人がいた。

(3)石垣

織田、豊臣時代につくられた石垣。
(4)足利氏舘
時間は、10:00ごろ。 少々混んでいました。人気のある場所ですから。

(5)足利学校

足利氏舘の隣にあります。 入場料450円はちょっと高い。


(6)外堀
かってに屋形船にのって遊覧できるぐらいの大きさだと妄想してました。が、幅4mぐらいかな〜。 堀にしては、小さい。
戦国時代で活躍した館ではないため現状が精一杯です。
鎌倉時代に活躍した建物でした。

(7)金山城から見た太田市街

天気が良ければなお最高。


(8)金山城の本丸あと




(9)金山城跡の石垣



(10)佐野ラーメン
佐野ラーメン:850円
餃子:600円

うーーーーーん。次はないかな。


(11)羽生PA




(12)菖蒲PA
ANAの特別販売を行っておりました。
十万石の饅頭は、おおみか饅頭ににていた。